脳性まひの長女の成長~妊娠編~
長女は1歳のときに『脳性まひ』と診断されました。
当ブログでは4歳半ころまでの成長記録を掲載しています。
この記事を読んで、あなたの子どもと似ている症状があっても、長女と同じ診断を受けるとは限りません。
あくまでもたくさんの症例の中の一例であるということを念頭にお読み頂ければ幸いです。
この記事では、長女の妊娠期の様子を綴っています。
妊娠初期(妊娠2ヶ月~4ヶ月)
妊娠2ヶ月 妊娠発覚
もともと妊娠を望んでいたこともあり、いわゆるフライング検査で妊娠が判明。
流産経験がある為、すぐに病院に行ってもどうなるか分からないということもあり、通院は少し待つつもりでした。
※今のところすぐに詳細を書く予定はないですが、長女の妊娠の前に、流産と人口死産(妊娠中期に脳の重病が判明)をしています。
しかし、数日後少し出血があったため病院へ。
胎嚢と胎芽が確認されました。
出血は落ち着き、何かあっても今の段階では何もできないため、そのまま様子を見ることに。
当時、遅番シフトもある会社員でしたが、まだ周囲に言うことも出来ず、何事もなかったように遅番の業務もしていましたが、不安でいっぱいでした。
妊娠3ヶ月 つわりが始まる。仕事繁忙期。
妊娠3ヶ月になり改めて病院へ行き、心拍が確認されました。
母子手帳も貰い、いよいよ妊娠生活のスタートです。
つわりが徐々に酷くなり、空腹時の吐き気や常に船酔いのような症状がありました。
仕事は本当に辛かったですが、以前に安定期に入ってから公表したにも関わらず、妊娠継続を諦めることになってしまった経験があった為、どうしても周囲に言えず、、、。
上司にのみ伝え、前回のこともある為、ぎりぎりまで公表はしないことにしました。
繁忙期と重なり、夜23時過ぎまで会社にいたことも。
今考えれば、早めに公表して遅番のないシフトにして貰い、規則正しい生活を送ればよかったと後悔しています。→長女の障がいの有無に影響があったかどうかは分かりませんが、、、。
でもその時は、また何かあった時に辛い思いをしたくない気持ちと、無事出産に至った時に、育児休暇をとって仕事に復帰したかった為、出来るだけきちんと仕事をこなしたいという気持ちが強かったのです。
仕事以外の外出は3時間までが限界で、休みの日は殆ど寝て過ごしていました。
妊娠4ヶ月 つわりが徐々に落ち着く
妊娠4ヶ月を過ぎたころから、疲れやすさはあるものの、徐々につわりは落ち着いてきました。
病院のマタニティクラスに参加したり、少しドライブに行ったり気分転換も図れるようになり楽しい毎日。
長女も順調で、特に変わったことはありませんでした。
妊娠中期(妊娠5ヶ月~7ヶ月)
妊娠5ヶ月 体重が増え始める。胎児は順調。
妊娠5ヶ月を過ぎた頃、胎動が分かるようになり、徐々に強くなっていきます。
休みの日に母親学級に参加したり、企業が協賛しているわくわくセミナーに参加したりと、充実した生活を送っていました。
長女も順調に育ち、前回の妊娠で胎児の重病が判明した時期を過ぎ、ほっとしたのを憶えています。
妊娠前から葉酸サプリを飲んでいましたが、妊娠5ヶ月後半から途切れ途切れになりました。
現在「葉酸サプリ いつまで」と検索すると「授乳期が終わるまで」としているサイトが多いです。
ですが、当時検索した時は、その情報はあまり出てきませんでした。
書いているサイトもあったかもしれませんが、自分にとって都合がいい情報を信じてしまいがちなので、「葉酸が特に必要な時期は過ぎたし、順調だから葉酸は大丈夫かな」と油断もありました。
もちろん、これが長女の障がいに繋がったわけではないでしょう。
十分に気を付けていても、障がいを持って生れることはあります。
でも、色々と振り返って「これがいけなかったのかな?」「あれが原因だったのかな?」とつい考えてしまします。
そしてこの頃から体重が徐々に増加。
シフト制の勤務だったため、遅番の時は22時過ぎに夕食を取る日も多く、不規則な生活でした。
妊娠6ヶ月 止まらない体重増加 仕事は日勤のみになる
この頃から病院で「体重増加のペースが早い」と指摘され始めます。
夜散歩して体を動かすなど気を付けるようにしましたが、あまり効果はありませんでした。
妊娠6ヶ月後半から、遅番のシフトを免除してもらい、日勤のみに。
体重増加もあり、体が重いと感じることが多かったです。
この時点でも長女は順調と言われていました。
妊娠7ヶ月 ついに栄養指導へ!体重がコントロールできない!
7か月健診で長女に目立った異常や奇形は無いと言われました。
胎動が日に日に大きくなり順調です。
ただ、私の体重増加が激しく、栄養指導を受けることになりました。
普段の食事を撮影し見てもらいましたが、「特に問題ない。どうしてこんなに増えるんだろうね?」と言われ、結局どうしてよいか分からずじまい、、、。
「間食は控えるように」くらいの指導でした。
今考えたら、私はお米で太りやすい体質の為、主食の量を減らせば良かったのですが、「お米を減らすのは良くない」と思い込んでいたのです。
※ちなみに次女の時はこの経験を踏まえて、初期から主食の量に気を付けていたので、適正範囲で推移していきました。
妊娠後期(妊娠8ヶ月~10ヶ月)
妊娠8ヶ月 産休取得。赤ちゃんが小さいと言われる
有休を使って、少し早めに産休に入りました。
この頃、運動もかねて人に会ったり外出することが多かったです。
「働く女性のキャリアデザインセミナー」なんてものにも参加していました。
私はバリキャリではありませんが、『ママになっても仕事も子育ても充実!』みたいなものを思い描いていたのです(笑)
少しずつ出産準備をし始めたこの頃
病院で「赤ちゃん少し小さめだね」と言われてしまいます。
少し不安が過りましたが、先生は「個人差もあるし、成長が止まっているわけではないから」と言ってくれました。
この先生は、前回の妊娠で病気を見つけ大学病院を手配してくれたり、妊娠継続を諦めた時にお産に立ち会ってくれた方です。
※人口死産の際、大学病院はベッドが空いていないとのことで、クリニックに戻り対応して頂きました。
寡黙な感じの先生でしたが、いつも丁寧に診てくれていたので、この先生に「今度こそ元気な赤ちゃんを取り上げて貰いたい」と思っていました。
妊娠9ヶ月 胎児成長曲線下限をウロウロ。色々検査へ
長女は成長曲線の下限を行ったり来たりしていました。
下限を下回ったと思ったら、次の健診で追いついたりの繰り返し。
しかし、やはり小さいとのことで血液検査等、色々検査を受けましたが、これと言った異常はありませんでした。
妊娠10ヶ月 大学病院へ転院し管理入院!MFICUって何?
臨月に突入してすぐに健診でした。
この時点で長女の推定体重は1826g。
このまま出産になるとクリニックでは対応出来ないため、小児科医が常駐している病院で出産した方が良いとの判断に。
また大学病院に行くことになり、思わず泣いてしまいました。
先生は「今回は元気に赤ちゃんを産むために、念のための転院だからね」と励ましてくれました。
後に、この先生の判断のおかげで長女が失明免れることになるとは、当然この時は想像もつきませんでした。
翌日、紹介状をもって大学病院へ。
そこでは推定2000gと言われました。
翌日、半個室のような部屋に案内され、2週間MFICUで管理入院になると伝えられました。
MFICU(母体・胎児集中治療室)は、母体または胎児に対するリスクが高く継続した監視下で適時適切な治療を行う必要があると医師が判断した妊婦および産褥婦に対応するための施設とスタッフを備えた集中治療室です
とりあえず、そういうルールというか、MFICUは常にベッドを埋めていないといけないようです。
2週間後には大部屋に移ったのですが、他のママたちも既にMFICUから出た後だったり、これから入る予定とのことでした。
胎児が小さめということ以外、特に注意することは無し。
病院内を自由に動き回り、むしろ推定体重が2500gを超えたあたりから、積極的に動くように勧められたくらいです。
特に何事もなくいよいよ予定日が迫っていました。
出産編に続きます。