障がい児育児歴4年!差別はあった?受容はできた?4年間の育児を考察してみた
ご訪問ありがとうございます。
早いもので、脳性麻痺と診断を受けた長女は4月から保育園の年中さんになります。
長女が生まれて4年以上、脳性麻痺と診断を受けてからは丸3年が経過しました。
これからも色々なことで悩み落ち込むことはあると思いますが、
今回、長女が生まれてからの4年間を振り返り、障がい児を育ててみて疑問に思ったことや育児の感想などを考察していきたいと思います。
- 障害の受容とは?4年間で受容できたか。
- 医師は何故なかなか診断名を教えてくれないのか?
- 障がい児はやっぱり生き辛い?差別はあるのか?
- きょうだいはどうする?二人目問題を考える。
あくまでも私個人の考えの為、共感できる人もいれば出来ない人もいると思いますので、その辺はご了承ください。
今回の記事では「普通」という言葉を多用しています。
障がい児を育てる親であれば一度は考える「普通とは何ぞや?」ですが、今回は分かりやすく表現するために「普通」「普通ではない」などの表現をしています。
この点を不快に思われる方は、ここで引き返して頂きますようお願いします。
障害の受容とは?4年間で受容できたか。
受容できたかどうか。
結論から言うと「微妙」です。
脳性麻痺であること、知的障害であることは理解しています。
「うちの子は障害児じゃない!いつか皆に追いつくんです!」
なんてことは思っていません。
とはいえ、
「うちの子は障害があるけど全然大丈夫!」
「療育を受けて、ちょっとずつだけど成長してるし、いろんな出会いがあって幸せ!」
「ハッピー見つけた!おいかけるよ!」
何てテンションにもなりません(笑)
まあ、確かにいろんな出会いがあったし、少しずつでも成長してる喜びを噛み締められるっていうのは良かった。
けど、障害が無ければしなくて済む苦労はやっぱりあるし、普通の子でも成長の喜びや素敵な出会いはもちろんある訳で。
知らない世界を知れて視野が広がったけど、やっぱり障害は無いに越したことはないと思っています。
受容の過程というものがあるので、今自分はどの辺にいるのかを見てみようと思いました。
受容の過程についてはいくつか種類があるようです。
- キューブラー=ロス
- フィンク
- ションツ
- コーン
20年前に介護の専門学校で習った時はキューブラー=ロス(死の受容過程)しか習わなかった気がしますが、今はこんなに種類が。(私が覚えてないだけかもしれないけど)
調べてみると「コーンの受容モデル(突然の身体障害の受容過程)が近い気がするので、詳しく見てみたいと思います。
【ショック】
大きな混乱により、事態を理解できていない。
【回復への期待】
障害がなくなり、すぐに治ると思っている
【悲嘆】
希望を失い、無気力で回復意欲を失っている
【防衛】
「これまでと何も変わらない」と思いながら、それまでに行っていたことに執着する
【適応】
障害は「人と違う部分」であるだけで、悪いものではないと受容する[/ti]
これを見ると、すでに私はstep5です。
う~ん何だろう。
みんな違ってみんな良い
そんなことは分かっているのです。
障がい児親の心はジェットコースター。。。
出典 銀魂 コミックス40巻「拙者をスキーにつれてって」より
そう、前向きになったり、後ろ向きになったり。
今の状態を受け入れたり解決したりしても、新たな問題が次から次へと勃発する。
それが障がい児育児。
調べたところによると、障がい児の親の受容は上記のような段階型ではなく
「螺旋型(肯定する気持ちと否定する気持ちが常にあり交互に現れる)」
というのが当てはまるようですね。
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会 情報センター
そんなわけで私の障害受容ステップはこちら
[ac-box01 title=”モヤモヤ期”]
- 普通の成長との違い(違和感)に気付き始める
- 検索魔になり、普通の成長過程と我が子の共通点を必死で探す。
- 個人差という記載に安堵したり、悪い情報をを見て落ち込んだりを繰り返す。
[/ac-box01]
[ac-box01 title=”暗黒期”]
- 診断名が付く。あるいは限りなく黒に近いグレーだと分かる。
- 途方に暮れながら(子供を抱えながらベランダから下を覗いてみたり)最悪のことを考える。
- 何もかもが憎い。普通の親子が羨ましい。
- なぜ、どうして、何が悪かったのか。妊娠期やこれまでの育児を振り返る。
[/ac-box01]
[ac-box01 title=”療育への期待”]
- 療育をガムシャラに行う。
- 頑張れば障害が改善され、普通に近づくと思う。
- まだまだ検索魔。誰かが良いと言っている情報をとりあえずやってみたりする
[/ac-box01]
[ac-box01 title=”悲嘆”]
- たくさんやれば良いってもんじゃないことに気付く。
- 療育の成果が思うように出ず、障害というものの困難さを痛感。
- 個々によって療育の成果は様々であることを知る。
- だからと言って療育の回数を減らしたりする勇気はない。疲れた。
[/ac-box01]
[ac-box01 title=”適応”]
- 我が子と普通の子の差が埋められないほど開く。
- 追いつくことが無理ゲーだと自然に受け止める。
- みんな違ってみんな良いを言い聞かせる。
- この頃には多少仲間が出来て、我が子が障がい児であることに慣れる。
[/ac-box01]
[ac-box01 title=”不安”]
- 「 将来この子はどうなるの?私が死んだ後どうなるの?」という不安が不定期に押し寄せる。
- 体だけはどんどん成長する我が子。癇癪など年不相応な幼い面を見る度に不安が押し寄せる。
- 前向きな日も多いけど、どうしようもなく不安に駆られる日もある(特に生理前など)。
[/ac-box01]
正直「みんな違ってみんな良い」だけでご飯を食べられたら何も心配はない。
世の中はそんなに甘くない。
親亡き後のことは多少勉強しつつも、まだまだ準備不足。
ここを解決しないと、たぶん本当の意味での受容は出来ないのではないかというのが、障がい児育児歴4年目の私の考えです。
医師はなぜ診断名をなかなか教えてくれないのか?
長女は身体障害のため、比較的早く診断がついた方ですが、それでも
という疑問が湧きました。
長女は首すわりから遅かった。
その為、4か月健診から引っ掛かっているのですが、はっきり「障害がある」とは言われませんでした。
4ヶ月じゃ分からない
果たしてそうだろうか?
次女を育ててみて知ったのですが、生後4カ月の身体って結構しっかりしています。
百歩譲って4ヶ月で分からなかったとしても、7~8ヶ月くらいだと明らかに普通ではない状態でした。
たくさんの子どもを見てきた医師が分からないはずはない。
普通の成長過程を2~3人経験していれば、必ず普通ではないことに気付くはずです。
私自身、ネットで検索しまくり、生後8か月の時点で脳性麻痺を疑っていました。
しかし、医師は「違います」と。
結局数か月後、脳性麻痺と診断され
「やっぱりね」
となった訳です。
まあ、普通ではないと判断されたからリハビリを勧められて、こども病院に行ったわけですけど。
障害であると伝えられていないので、当時はリハビリをすれば発達が追い付くと思っていました。
出典:ドラゴンクエストダイの大冒険 コミックス文庫版15巻より
結局、自分で受容の過程を踏めってことなんだろうか。
障害だと分かっていても、突然伝えて母親がショックのあまり命を絶っても困るからなのか。
特に産後の母親のメンタルは普通の発達でも落ち込むことはある。
慎重に対応した結果かもしれません。
しかし、はっきり言えなくても、ある程度、今後どういう成長過程を辿るのか、疑われる病気や障害名を教えて欲しい。
でないと、どこまでも検索してしまうから。
検索する範囲を狭くしてくれないと、眠れない夜を何日も過ごすことになるんです。
人それぞれかもしれないけど。
もちろん、中途半端な情報を伝えられないのは分かる。
でも大体このくらいのペースでの運動発達だと、このくらいで歩けるようになるとかならないとか、なんか統計とかデータがあるよね?って思う。
ネットで調べると色々文献は出てくるけど、難しくてどれが我が子に該当するのか分からない。
自閉傾向についても、はっきり診断をつけるのが難しいのかもしれないけど、こっちも早く受け止めて対処法を勉強したいので、診断名は早く欲しいんだよって思うんです。
一緒に我が子の特性について見極めてくれないと、自分で本やネットで調べるのには限界がある。
専門家の意見が欲しいんです。
この辺も親によって考えが違うだろうから、支援者側もアプローチが難しいのかな?
でもモヤモヤ期が長く続くのは本当に辛い。
早く次のステップに進ませて欲しい。
でもきっと、医師には医師の事情があるのでしょう。
いろんな子どもを見ると同時に、いろんな親も見てきたのだろうから。
どうすることが一番良いのか分からないけど、白黒はっきりさせたい派の私としては、もどかしいの一言に尽きますね。
障がい児がいるとやっぱり生き辛い?差別はあるのか?
出典 ドラゴンクエストダイの大冒険 コミックス文庫版6巻より
正直、今まで生活していて、あからさまな差別を受けたことはありません。
親切にして貰うことの方が多いです。
ネット上で、障がい児者のニュースに対するコメント欄を見ると辛辣なものが結構ありますよね。
でも現実社会で接する人は優しい人が多い。
この優しい人たちが、実はネットで辛辣コメント入れてたら震えるけど、恐らくコメントを書くような人と直接接する機会が、今のところ無いんだろうなあと思います。
まあ、個々の考え方は色々だし自由なので、直接危害を加えられなければ良いです。
差別はないけれど、やはり色んな制約はあるかなあと思います。
制約があるなあと感じたエピソードを2つ紹介します。
保育園に入りにくい
我が家は比較的スムーズに保育園に入れた方だと思います。
しかし、苦い経験もしています。
まだ長女の障害が重いと分からなかった頃、街中の企業主導型保育園の地域枠を見学しました。
オシャレな保育園で病児保育も可能、英語や体操レッスンあり、手ぶら登園OKと謳っている今時保育園。
認可外ということもあり、希望してほどなく「4月からお待ちしております」と連絡が。
そんなにすぐに決まると思っていなかったので(決まる前に面談があると思っていた)、長女の発達の遅れについて詳細を伝えていませんでした。
電話で状況を伝えると「一度面談をしましょう」ということに。
そして園長から
など質問され、遠まわしに「うちの園には合わない」という空気が。
この帰り道
夫とこんな会話をして、連絡を待ちました。
しかし、その連絡が来ることは無かったのです。
こちらから連絡しようと、その保育園のホームページを見ると衝撃の記載が。
『来年度定員枠満員御礼!ありがとうございました』
長女を育てていて、忘れられない出来事の1つです。
別に断られることは覚悟していたし、仕方が無いことだと思います。
無理に受け入れて貰って、長女が虐げられるようなことがあったら嫌ですし。
でも、普通に断って欲しかった。
ドキドキしながら連絡を待っていたから。
私たちの申し込みを無かったことにされたことが、長女の存在を消されたように思えて辛かったです。
その後、ダメ元で申し込んでいた認可保育園の合格通知が届き、この保育園で大切に保育して頂いたので結果オーライだったんですけどね。
とふと今でも考えてしまうことはありますね。
考えても仕方がないのだけど。
仕事を続けにくい
これは我が家の場合は、夫が転勤族ということも関係しているので、必ずしも障害だけが原因ではないです。
でも障害が無かったら続けられていた可能性はありました。
夫の転勤が決まった際、私も配置転換制度を利用し転居先の部署に異動願いを提出。
しかし、障がい児である長女が、転居先ですぐに保育園に入れるわけがありません。
転院先や療育先を決めるなど、普通の子よりも多くの準備が必要なのです。
夫の異動が10月付ということもあり、さらに厳しい状況でした。
そこで、過去に例は無いと分かっていますが同時に介護休業を申請し、翌年度4月付けで異動出来るように希望を提出。
介護休業中の数カ月間で転居先での体制を整えようと考えました。
が、当然のことながら上司はあまりいい顔をしません。
部長はめったに顔を合わせないので家族構成は知りませんが、課長は奥さんが専業主婦で、なぜここまでして私が働こうとするのか理解できないといった様子でした。
部長に至っては「旦那さん、仕事何してるの?」と会社名を聞いてきて
夫の給料が少ないから私が必死で働こうとしていると思っていたようです。
「小さい子供がいて、しかも障害を抱えているんだから、辞めて育児に専念すればいいのに。」
と、はっきり言われたわけではありません。
でも、私の被害妄想ではないと分かるくらい、彼らの心の声が駄々洩れていました。
案の定、異動願いは叶わず。
この異動願いを出して通らなかった場合は退職(取り下げ不可)という人事上の規定により、会社を去ることとなりました。
一つ運が悪かったなあと思うのは、長女の育休中に部長と課長が異動で変わったこと。
殆ど一緒に仕事をしたことが無い上司ということもあり、あまり親身にはなって貰えませんでしたね。
そんなわけで無職になったわたし、、、。
出典:銀魂 第六百五十六訓 「無職は何者にも染まらない」より
少し長くなりましたが、ここで何が問題かというと
障がい児の預け先が無い問題。
気軽に身内や他人に預けられないのです。
保育園はいくら保活激戦区と言っても地方都市なので、認可保育園に拘らなければ、どこかに空きはあります。
しかし、空きがあっても障害があると簡単には受け入れて貰えません。
また、普通の子育てと違う面が多すぎて親に頼ることも難しいです。
実際、まだ障害がはっきりしていない時に実母に預けた際、長女が何をしても泣き止まなくなり
と外出して1時間もせずに戻る羽目になったことがあります。
その後
と言われてしまいました。
それ以来、徐々に実母とも距離を置くようになり、今となっては身内に頼ることも無くなりましたね。
※ちなみに義母との関係は良好ですが、このように何かがきっかけで、関係にひびが入るのも嫌なので、何かを頼んだりせず、ただ可愛がってもらうだけが一番と考えています。
結局夫婦二人で何とかしなければいけないので、どちらかがフリーになるしかない。
私が無職になったので、そのままフリーランスとして、新たなスタートを切ることになりました。
恐らくもう前に勤めていたような会社で、正社員として働くことは無いんだろうなと思ってます。
今の時代、正社員にこだわる必要もないし、ネットビジネスの世界では「会社なんて辞めようぜ」って言ってる人は多いけど(笑)
でも待遇も福利厚生も良かったので、残念だなという気持ちは今も少しありますね。
いつまでも、ぐじぐじしていても仕方がないので、今出来ることをやっていこうと思います。
出典:銀魂 第十六訓「考えたら人生っておっさんになってからの方が長いじゃねーか!恐っ!」より
きょうだいはどうするか?二人目問題を考える。
これを書くかどうかは非常に悩みましたが、今回はさらっと書こうと思います。
今後、掘り下げて書くかどうかは、改めて考えます。
長女に障害があり、第二子については非常に悩みました。
結婚した頃、漠然と子供は二人欲しいよねと夫と話していましたが、長女の障害が分かり、二人目は難しいかなという空気に。
でも、私は頭の片隅に「二人目」について常にありました。
表向きには『二人目は難しいかな』とは言っていましたけど。
年齢的にもうあまり悩んでいる時間は無い。
私は主に以下の点で悩みました。
- 2人目も障がい児かもしれない。その場合障がい児2人を育てられるか。
- 2人目に障害が無くても、きょうだいとして苦労を掛けるのではないか。
一つ目については、遺伝外来を受診し、医師からカウンセリングを受けました。
現在の長女の障害が遺伝性とは考えにくいけど、まだ判明していない病気の可能性も無い訳ではない。
また一人目が脳性麻痺で、2人目が染色体異常だったという例も知っているとのこと。
つまり確率論の問題で、どうするかは夫婦で決めるしかないといった内容でした。
まあ、医師の仰る通り。
1人目が普通に育ったから2人目も大丈夫という保証はどこにありません。
みんな同じです。
障害があるかもしれないし、無いかもしれない。
後は育てられるかどうか。
正直
『2人目も障害があったとしても、前向きに育ててみせるよ!』
なんて自信は無いです。
でもこればかりは、生まれてみないと分からないから、その時はその時で泣きながら受け止めていくしかないのかなあと思いました。
無責任に聞こえるかもしれないけど、結局育てるのは私たち夫婦なわけで、他人から何を言われようと関係ないんですよね。
人の目が気にならないと言ったら嘘になるけど、気にしていたら何もできないです。
それよりも気になったのは、二つ目のきょうだいとして負担をかけるのではないか?という点です。
これについては、かなり検索しまくりましたね。
きょうだいの立場である人が辛い思いをして育ったという書き込みが多く、この書き込みを見るたびに諦めようと思いました。
特に、
という書き込みもあり、
既に第一子の障害が分かっているのに第二子を授かることへの意見は、特に批判的なものが多かったです。
しかし、現実世界を見ると、第一子に障害があり、下に弟妹がいる家族は何人もいました。
昔は、直接差別的なことを言ってくる人がいたと思いますが、今は時代が違います。
ここでも目に見えない人の意見に流されるのではなく、実際に身近にいる人を見て、どういう生活を送っているか、きょうだいの様子など目で見たことを信じようと思いました。
もちろん、これまで苦労をされたきょうだいの方のお話しはしっかり受け止めなければいけません。
きょうだいの会など、積極的に情報収集をしていこうと考えています。
あと、色々考えましたが、
そもそも授かるかどうかが分かりません。
年齢的にも、育てたいと思ったところで無理な可能性も多分にある。
だから、あまり考え過ぎず、授かったら一生懸命育てていこうという結論に至りました。
だけど本当に本当に悩みました。
ここでは悩んだ点を主に2点と書きましたが、いろんな角度から色んなことを想定して悩みました。
今、これを読んでいる方の中にも、同じように悩んでいる方がいるかもしれません。
家庭環境など、個々の家庭によって答えは違います。
世間体とかネット上の意見に流されるのではなく(参考にはするけど)、夫婦で話し合い、自分たちがどうしたいか、療育先などで出会った家族(実際にきょうだいがいる家庭がどうなのか)を参考にしたら良いのかなあと思いました。
まとめ
いつも、なるべく当たり障りのないことを書きつつ、ちょいちょいアフィリエイトリンクを貼るのが定番のブログですが、今回は少し踏み込んだ内容を書いてみました。(そうでもないかな?)
保育園や会社批判っぽい内容も一部ありますが、あくまでも私の視点です。
保育園側にも会社側にもそれぞれ立場と言い分があり、そうせざるを得なかったのだと理解しています。
障がい児育児をしていると、役所だったり、幼稚園・保育園だったり、普通ならすんなりいく話しが進まないということはざらにあります。
先輩ママから
とアドバイスを受けたことがあります。
たしかに、戦うべき場面はありますが、常に臨戦態勢だと疲れます。
戦うということは、こちらもそれ相応のダメージを受けるのですから。
子どもが小さいうちは、母親としての経験値も浅い。
戦うのはレベルを上げてHPも満タンにして、装備?も仲間も増やしてからが良いのかなあと個人的には思っています。
障がい児育児4年目の私の冒険は、まだまだ序盤ですからね。
まあ、不満に思うことは多々あるし、喧嘩腰になってしまうこともあるけれど、なるべく穏便に、まずは支援者とか育児への協力者(仲間)を集めるところを頑張っていこうかなと思っています。
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