脳性麻痺の長女の成長~生後9か月から生後11か月編~
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脳性麻痺の長女の成長~生後9か月から生後11か月編~です。
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生後9か月~PT開始~
まずは生後9か月の様子から。
・自分でマグマグを持ってお茶を飲んだ(哺乳瓶の乳首使用)
・手づかみでパンなどを食べるようになった。
・四つん這いの姿勢になろうとすることが増えた。
・本棚から絵本を出した。
・手をついてお座りが出来るようになった(短時間)
・紙パックのお茶をストローで飲めるようになった(口からこぼれるけど)
生後9か月が過ぎた頃、こども病院に行きました。
この日は診察とPTです。
診察では生後7~8か月くらいの発達と言われました。
この時期の1~2か月の遅れはかなり大きいのかもしれませんが、個人差の範囲だと思っていましたね。
ここで先生から親子入院に参加してみないかと言われエントリーすることに。
いつ入院になるかは、後日連絡が来るとのことでした。
そして、こども病院での外来リハビリは月に1回程度しか予約が取れないと言われました。
この時期に出来るリハビリって限られているので、習ったことを自宅でひたすら反復するしかないです。
今なら理解できるのですが、当時は専門家のリハビリをやればやるだけ成長すると思っていたので非常に焦りました。
親子入院は早ければ1か月半後に入れる予定だったため、親子入院が決まることを祈るしかなかったです。
あと、この時一つショックだったのが、チラッと見えた紹介状の診断名のところに「小頭症」と記載があったのです。
その場で質問すれば良かったのでしょうが、動揺してしまい聞けませんでした。
小頭症とは、頭が異常に小さい状態のことです。たいていの場合、脳が小さく不完全に発達したことが原因で頭が小さくなります。
乳児における正常範囲と比べて著しく頭囲が小さい場合、小頭症と診断されます。
※MSDマニュアル家庭版より抜粋
例にもれず検索しまくりましたね(笑)
長女を妊娠した2016年当時ジカウィルスがブラジルで流行していた為「まさか!」と思いましたが、もちろん渡航歴はありません。
後から先生に確認したところ、上記にも書いてある通り、『頭囲が月齢の平均よりだいぶ小さいため小頭症と書いた』ということが判明しました。※頭囲が小さい原因は現在も不明です。
医療関係者の中では通じるかもしれませんが、病名を書くときは説明してくれないと「知らされていない病気がある!」と思ってしまうので、教えて欲しいなと思いました。
生後10か月~ずっとリハビリが必要だと言われる~
・両手を合わせてパチパチするようになった。
・右手の人差し指で絵本を指差しするようになった。
・手づかみ食べが上手になってきた。
・マグマグストローでお茶を飲めるようになった(口からこぼれるのは変わらず)
親子リハビリ入院に参加しました。
ここで障害を持つ子供たちや親御さんと会い、みんな同じように悩んでいることが分かりました。
そして長女と同じように「原因不明の発達遅滞」の子が複数いました。
この時、原因不明の障がいが自分が思っていたよりも多いということを知ります。
親子入院中に小児リハ、整形、耳鼻科、歯科等、様々な診察を受けました。
長女の動きを動画撮影しカンファレンスも行ったようです。
その後、小児リハビリの先生からこんなことを言われました。
(ん?どういうことかな?)
(リハビリがずっと必要っていつまで?一生リハビリするってこと?意味が分からないな。。。)
障害があるということを言っているのだと思うけど、当時の私は理解できません。
ショックを受けるから遠まわしに言っていたのだと思います。
でも、曖昧だと親としては悪い情報はあまり信じたくない為、なかなか長女の状況を受け止めきれませんでした。
(あまり良くない状態だということなんだろうけど、診断名も出てないし原因不明なら急に成長することもあるんじゃないかな?奇跡体験的な番組でも諦めなかったら治ったとかあるし。。。)
当時は不安で苦しみながらも、出来るだけポジティブに考えようと頑張っていました。
ちなみにこの頃、長女は哺乳瓶ホルダーを使うことで、自分で哺乳瓶を持ってミルクを飲むようになりました。※長女が使っていたものは廃盤になったのか見つけられませんでした。
生後11か月~大学病院のフォロー外来をやめる~
・四つん這いで方向転換するようになった。
・四つん這いから正座をした。
・立ち膝でテーブルの上にあるものを取ろうとした。
・気になるものを指さして声を出すようになった。
生後11か月は様々な機関に連絡を取り、長女の療育先や相談先など社会資源と繋がりを持ち始め、色々動き始めた一か月となりました。
障がいを受け入れていた訳では無かったのですが、障がいの有無に関わらず、今出来ることはした方が良いと思っていたからです。
手始めに必要なことと不要なことを整理していきました。
1か月間のリハビリ入院を終え、その翌日が大学病院での診察でした。
リハビリの様子を伝え、ずっとリハビリが必要と言われたことなどを報告。
改めて先生の見解を聞けると思っていましたが、特に何も言われませんでした。
「ご飯は食べれているか」「排便があるか」などお決まりの質問をして、お座りの状態などをチェック。
(それだけ?1歳になるのにまだお座りできてないんだよ。ただ現状を報告するだけのために、また病院に来なきゃいけないの?時間の無駄でしょ)
特にアドバイスもなく、ただの現状報告のみなら通う意味は無いと判断し、「遺伝子検査の結果が出たら連絡をください」と伝え、もう大学病院の小児科には通わないことにしました。
眼科はとても良い先生だったため、大学病院は眼科のみ継続することに。
大学病院を切るというのは結構勇気がいりましたが、今考えたら良い判断でした。
自分の中で大学病院=病院の最高峰というイメージを持っていましたが、場合によってはそうでもありません。※良い先生も沢山いたのですが、担当の先生とすこぶる相性が悪かったのだと思います。
続いて、長女のリハビリについて、市が運営している療育センターにコンタクトを取ることに。
どこのセンターもそうですが、連絡を取ってすぐにリハビリを受けられるわけではありません。どの施設も空いている枠が少ないです。
しばらく待つことになるかと思いましたが、なんとか1か月後(年末だった為、年始早々に)診察や今後についての相談などの予約を取ることが出来ました。
次に、片目が見えていないことについてどのように対応していったらよいか、視覚支援学校へ連絡。
こちらも年明けに学校に訪問し教育相談を受けられることが決まりました。
そして、親子入院中に先輩ママから「相談室(障がい者相談支援事業所)」に連絡を取ると良いとアドバイスを貰っていた為、相談室にも連絡。
これから各種手帳を申請することになったり、何かサービスを受けたい時に相談にのって貰えるということです。
この時は身体障害者手帳も持っておらず、まだ何をどうしたらよいのか全く分からなかったため、とりあえず困っていることなどを聞いてもらうために面談をしてもらうことにしました。
こうして長女の0歳児期が終わり、長女は1歳を迎えます。
まとめ
明確な診断名は言われていないものの、紹介状には『運動発達遅滞、小頭症』と書かれていました。
そして先生からの「ずっとリハビリが必要」という告知。
こうやって少しずつ、さりげなく成長と共に「障がい児である」という現実を突きつけられていきます。
今でこそ「うちの子は脳性麻痺という障がいがあって」と人に伝えられますが、この頃は「発達がゆっくりなので」と説明し『障がい』という言葉は使っていませんでした。
診断名が出ていないと人にどう説明して良いか分からないし、自分自身も「原因不明だし、障がいと決まったわけではない」という気持ちがありました。
そこそこ子供と触れ合った経験がある人なら、専門家じゃなくても明らかに一般的ではないと分かる状態だった長女。
にも関わらず、誰もはっきりと「障がいがあります」とは言ってくれません。
はっきり言って欲しかった気持ちと、はっきり言われても受け止めきれなかったかもしれない気持ちがあり、どのような対応が正しいのかは今も分かりません。
しかし診断名がでるまで、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていました。
難しい問題ではありますが、子供の状態を受け止め理解するために「診断名」というのは重要なものだと私は感じています。
本来0歳児期というのは大変ながらも本当に可愛い時期です。
健常児の次女を育ててみて、みるみる出来ることが増えて大変さよりも喜びの方が多いと感じます。
もちろん長女と共にもがき苦しみながら成長した経験があるからこそ、次女の育児が楽に感じるというのはあるかもしれませんが、、、。
当時、
(私の育て方が下手だから出来ないのかな?)
(ミルクもあまり飲めなかったし、栄養が足りなかったから成長が遅れたのかな。もっと上手に飲ませる方法があったのかもしれない)
(みんなどうやって座り方や歩き方を教えてるんだろう?)
(ネットで検索ばかりしてるから、子供と関わる時間が足りていないのかな。)
こんなことを考えていました。
次女は何もしなくても、自分で母乳を吸い、母乳のみでぐんぐん身長も体重も増え、気が付いたらお座りをして歩いていました。
ようやく
(そうか。みんな何か特別なことをしていた訳ではなかったんだな)
(私の育て方の問題ではないんだよな)
と理解出来ました。
それと同時に改めて、長女は成長するために沢山のサポートが必要であることを実感しています。
※障がいは育て方の問題ではないと分かっていましたが、それでも「もし私ではない人が母親だったら、長女はもっと成長しているのかもしれない」という気持ちがずっと拭えませんでした。
次回脳性麻痺の長女の成長~1歳から1歳3か月編~に続きます。
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